あなたの人生を幸せでいっぱいに変えてしまう3つのアドバイス

人生を幸せでいっぱいに変えてしまう
人生を幸せでいっぱいに変えてしまう

どうも、日々まったりとやりたい事をやりつつも社畜をプレイ中のMurabitoですが、皆様潤い足りていますか?

さて突然ですが、「あなたは今幸せですか?」

多くの人々は「もちろん幸せ!」と答えてくれると信じています。
でも中には「う〜ん、どうかなー」と首を傾げてしまう方もいるかと思います。

今回はそんな、毎日にモヤモヤしている人、漠然とした不完全燃焼感のある人、現在の自分に漠然とした不安がある人などの日々に不満がある人に向けて世界が今までと違って見える「人生を幸せでいっぱいに変えてしまうアドバイス」をお伝えします。

目次

1. 幸せの基準は自分で設定できる

幸せとは何か?

まず「幸せ」とは何なのでしょうか?

「幸せ」と言うのは人それぞれによって感じ方が違います

陳腐な例ですが例えば、交際しているカップルが居るとして、ある日パートナーがプロポーズしたとします。パートナーは勇気を振り絞って婚約指輪を取り出して「結婚してください」と言います。ここで、「夢みたい!信じられない!幸せ過ぎてどうしたら良いの?嬉しい!」となるか「何その安そうな指輪!信じられない!最低!」となるかは本当に各個人によって違いが出ます。

この違いは個人が何を「幸せ」とするか、無意識に「幸せの基準」を定めており、その違いから個人が「幸せ」と感じる幸せの閾値(幸せを感じるられる程度感)に違いが生じるわけです

上記の例であれば、前者の幸せな基準は「パートナーと一緒にいる事」かもしれません。また後者は「パートナーとお金に不自由しない裕福な人生を送る」または「自分を高く価値ある人間として金銭で(も)認めてくれる」ことかもしれません。

つまり幸せとは「個人が定めた基準」な訳です。

幸せの基準を明白にする

では「あなたにとっての幸せは何ですか?」と聞かれたときに皆さんは直ぐに答えることが出来るでしょうか?
ひょっとしたら、日々漠然とよくわからない不満を抱えている人程、「自分にとっての幸せ」が定まっておらず、漠然としているかもしれません

自分にとっての幸せを定めるには自分を一度見つめ直す必要があります。例えば

  • 自分自身が人生において何を重要視するのか?
  • 人生の現在の立ち位置で何を欲するのか?
  • 将来の自分はどうなりたいのか?
  • 自分自身の根本的なところでは何が好きで、何が嫌いなのか?
  • どんな時にワクワクして胸が高鳴り、どんな時に嫌な気持ちになるのか?

と言った事を紙に書き出してみると良いかもしれません。そうすることで自分自身を見つめ直し、心の中を整理することができ、その上で自分の「幸せの基準」が見えてくるはずです。

「幸せの基準」が判ると、日々悶々を抱えている漠然な不安や、細かな不満などが確実に減ります。それは基準が明確になる事により、幸せになる為に実行すべき目標や、実行してはならない行動が明白になるため、そのゴールに向かって幸せを感じれるように、そして不安や不満を減らすように自らの行動をコントロールできるようになるからです(好きな事をして、嫌な事を避けるなど)。

幸せの基準の幅を広げる(閾値を下げる)

更にこの「幸せな基準」の「幅」を敢えて単純で日々の重要でない出来事まで広げる事ができれば、あなたには世界はより素敵に映る事でしょう。例えば

  • 朝日が眩しい
  • 雨の匂いを感じられた
  • 歩いていたら可愛い猫・鳥に会えた
  • 小さくて綺麗な梅・桜の花が咲き始めているのを見れて季節を感じられた
  • 日々健康で元気だ!

などと言う「何気ない日常の事柄」というレベルまで基準を広げる事ができれば、あなたはもうこの記事を読む必要はないレベルの幸せマスターかもしれませんね。

これって何だか武士道みたいな概念に通じるところがあるのでしょうか?「野に咲く一輪の花を愛でる心」を日々養うことですね。

このようにあなたの中で「幸せの基準」を明確にした上で、その「幅」を広げるだけで、世界があなたにとって素晴らしいものに少しずつ変わってくるはずです

ただし、ここで注意しなければいけない事が1つだけあります。それは人間の欲は無限で青天井である事です。もちろんより多くを求める事が必ずしも悪い事だとは思いませんが、今の自分自身からかけ離れた不釣合いな「幸せの基準」を欲に任せて定めると、いつまでも心が満たされずに幸せにはなれませんあくまでも広げる幸せの基準の幅は低い方へ広げるのです。間違ってもより高い方へ広げてはいけません

2. 他人と比較しない

まだ人生中年程度の経験しかありませんが、人間って2つのタイプに別れると思っています。それは自分を他者と比べる人とそうでない人です。そして、他者と比べる人は正直クレイジーな程、息をする様に自然に何でもかんでも即「他者と自身を比較」しているように見受けられます。

いったい何が楽しいのでしょうか?もしくは他者と比較しないと死んでしまう病にでもかかっているのでしょうか?狂気すら感じます。

私はかなり他者への関心が気薄なため理解不能です。ですが、ここは頑張って理解不能なりに人間観察を行い、なぜ他者と比較するのか考えてみました。

色々考えましたが、やはり「自身と他者を比較する」一番の動機は「他者より優っている」事を確認、実感して優越感または安堵感を得る事ではないのか…という結論に今のところ至っております。

仮に上記の結論が正しいと仮定したとすると、他者と比較する事により一時的に優越感や安堵感を得ることは出来ても、その幸せは必ず潰(つい)える事が確定しています。なぜならば世の中は広く、自分は井の中の蛙だからです。つまり世の中には上には上がいるのです。

他者と比較して一時的に得た優越感・安堵感はより格上の者の存在を知ったり会ったりする事により、劣等感や不安感に裏返ります。そして永遠の優越感・安堵感を得るためには、もはや全ての事柄において「人類の頂点」に君臨する以外に解決策が無いからです。正直宝くじで1等を当てるよりも、海賊王になるよりも、ドラゴンボールを集めてシェンロンを呼びだすよりも難易度設定高くないですか、これ?

もはや「自身と他者を比較する」行為は優越感・安堵感を得る手段ではなく、間違いなく不幸せになる為の負のループを構築する手段でしかありません。

あなたはあなたです。他者と比較してもあなた自身の本質は何も変わりません。もし、あなたが日常的に他者と比較をしているのであれば、今すぐにでも他者と比較することをやめるべきです

3. 日々感謝する

何でもかんでも日々感謝する事です。これだけで、かなり人生が風通しの良い、ふんわり幸せなものになるはずです。

本当は感謝とは他者に対してして欲しいところですが、感謝することは、全て自分に返ってきます。「情けは人の為ならず」と全く同じです。

つまり、人に感謝をすることは全てめぐりめぐって自分の為になるのです

簡単な例ですが、
誰かが、親切に何かを手伝ってくれたり、もしくは何かをくれたりした時に、素直に「ありがとう」と感謝を伝えるのと、「手伝ってもらったけど、あんまり役立たなかったわ!」とか「(ものを)頂いたけど、何これマジいらなくね?」なんて感謝どころか文句など言った場合と、相手の感じ方はどうなるでしょうか。

またはコンビニのレジで支払いをするタイミングで店員さんにお礼を言うのと、舌打ちをするのでは、店員さんの反応はどうなるでしょうか?

素直に感謝を伝えた場合は、「今度もまた機会があれば親切をしてあげよう!」とか「笑顔を返してくれる」などポジティブな反応が得られるでしょう。一方で感謝を伝えず、あまつさえ文句を言った場合は「もう二度とあいつには親切なんてしてやらない!」や「不機嫌そうな表情」などネガティブな反応が得られることは明白です

日々の全てに感謝をして自分自身の周りをポジティブな反応で一杯にするのと、日々不満と文句を垂れ流し自分自身の周りをネガティブな反応で一杯にするのと、あなたは「どちらの世界で生きること」を選択しますか?

今あなたが生きている世界はあなた自身が選択した結果の世界なのです。そしてあなたはあなたにとって素晴らしい世界をいつでも簡単に自分自身で選択し直す事ができる事を忘れないでください

最後に

如何でしたでしょうか?以上が「人生を幸せでいっぱいに変えてしまうアドバイス」です。

ざっくり言えば「幸せ」とか「不幸」とかはその人の思い込みです。そして平和な国で生活している場合、大抵の場合、「不幸」を嘆いている人程、案外「既に幸せ」な状況におかれていて、単に無い物ねだりをしているだけだったりします。

また心の底から本当に「不幸」や「悲しみ」を感じている人程、それを表に出して嘆いている人が少ない気がしています。

あなたがどんなに幸せであろうが、不幸であろうが、楽しかろうが、悲しかろうが、淡々と、無情にも、時には残酷にも今日も陽はまた昇っていきます。人生が無情にも進み続けるのであれば、幸せで溢れる人生にしたいものですね。

この記事を見て少しでも人々が幸せに気がついて幸せが広がる事を祈って。